BCPが始まったのは1970年代、そして広がり始めたのは2001年のアメリカ同時多発テロ以降といわれています。ここではBCPが誕生した経緯や日本での普及率、江戸時代のBCPの考え方を紹介します。
BCPは、1970年代にアメリカ・イギリスで事業を継続する1つの手段・手法として関心が高まってきたことで始まりました。
実際にBCPが広まったのは、21世紀幕開け直後。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロをきっかけとして、全世界の企業たちが事業継続の重要性を考えるようになったのです。
そのきっかけとなったのは、大手証券会社でした。アメリカの大手証券会社であるメリルリンチ社は、ワールドトレードセンターに入っていた企業です。建物の破壊によって本社機能は消滅してしまったのですが、事件の4ヶ月前に、本社機能停止に備えて全社大規模模擬訓練を実施していたのです。
訓練と同様にBCPを発動、1機目が衝突した7分後には対策本部を立ち上げて、20分後には9000人もの従業員を全員無事に避難させました。これは従業員の安全確保が業務再開を早期に行う前提である、とBCPを制定していたからこそできた行動です。
メリルリンチ社の行動をきっかけに、事業を停止させないためのBCPはとても大切であることを多くの企業が理解し、今に至るまで広まり続けてきました。
世界的にみればBCPの普及率は大きく高まっていますが、日本では実際にどれぐらい普及しているのでしょうか。
日本でBCPが広まったのも、2001年9月11日がきっかけになったとされています。とはいえ、アメリカ・イギリスといった欧米諸国にとってはテロ攻撃による事業停止は可能性が高い重大な事項であると考えられていたものの、日本ではテロ攻撃に対してあまりピンとこないという企業が多かったようです。
2001年9月11日がきっかけとなったといっても、世界各国よりも日本の企業ではBCPの浸透率・策定率はそれほど高くありません。日本におけるBCPの歴史は、実態としては2011年3月11日に起こった東日本大震災をきっかけに始まりました。
では普及率の推移をチェックしてみましょう。
2006年、中小企業BCP策定運用指針が公開されてから2007年に向かっては急速にアップしていたのですが、2008年のリーマンショックで大きく普及率が下がりました。
その後、徐々に上がっている物の再び2011年で大きく下がり、東日本大震災によってBCPが大切であることを感じた企業が増えて2013年ごろには普及率が上がっています。
ただし、ずっと順調に上がり続けているわけではなく、上がったり下がったりを数年ずつ繰り返しているような状態です。
BCPの歴史と広まった経緯をお話ししましたが、BCPに似たような考えは江戸時代から存在していました。
江戸を舞台とした小説で、江戸の商家が火事に遭遇し、持って逃げたのは金銀財宝ではなく大福帳だったのです。お得意様の名簿があれば、売り物が焼けても商売が立て直せる、という考えがあったようです。
大福帳とは、取引先別に掛け売りの内容を記入する管理帳簿で、商家にとっては重要な帳簿の1つでした。大福帳を持ち出す行動こそが、今でいうBCPのような考え方です。